更新日時:2024-11-14
川口農業ブランドものがたり私達の食卓に並ぶ食材が、どのように育てられたのか想像したことはありますか?
近年、持続可能な農業として農薬や化学肥料に頼らない「有機農業」への関心が高まっていますが、実はそのあゆみは今から約50年前、埼玉県の小川町から始まったものでした。
総面積の半分を森林が占め、決して農業に向いているとはいえない小川町ですが、日本の有機農業をリードしてきた背景にはどんな物語があったのでしょうか?
小川町の取り組みを現地を見て学び、今後の川口の農業に活かしていけたらと、令和6年11月14日に川口農業ブランド視察研修が開催され、総勢21名が参加しました。今回はその1日の様子をお伝えします。
**1日のスケジュール**
・小川町の取り組みについて(小川町役場)
・農場見学(霜里農場)
・昼食(帝松 松風庵)
・JA花園農産物直売所(深谷市)
地域全体で、地域の恵みを味わう
緑化センターを出発し、バスに揺られること2時間。一行は小川町役場に到着し、小川町の取り組みをお聞きしました。一部を抜粋してお伝えします。
「地産地消の仕組みづくりに力を入れていて、地元で採れた野菜を給食で使用したり、マルシェや料理教室の開催、地元の野菜を地元のレストランで積極的に使ってもらうなどしています。

1971年に有機農法の産声があがりましたが、それは金子美登(よしのり)さんという方が、たった一人で始めたものでした。金子さんは酪農の経験から、胃の中で微生物が元気な牛は、美味しいお乳を出すことに気づき、栄養価の高いものを作るため、豊かな土の必要性を痛感していました。
汗をかいても、良い土から良いものを作りたい。と有機農法を始めましたが当時そのような考えは受け入れられず、時に変人扱いされることもありました。そんな中でも信念を貫き、少しずつ良さを理解した仲間が金子さんの周りに集まるようになり、その意志は今日でも受け継がれています。」

パイオニアの意志に触れる
役場でのお話の後、一行は秩父の山間に佇む美登さんが生前運営していた「霜里農場」を訪ね、美登さんの志を継ぐ義理の息子、宗郎(むねお)さんのガイダンスのもと、実際の取り組みを見学しました。
まず見せてもらったのが、普通なら廃棄してしまうものを「エネルギー」として再利用する取り組みです。
宗郎さん「ここではトラクターを天ぷら油で動かしています。また、不要になった木材を使いお風呂を沸かすなど、普通なら廃棄物として扱うものをエネルギーとして再利用しています。こういった積み重ねが自然を守り、豊かな土を育むことに繋がります。

100%自給自足の堆肥で、豊かな土づくり
化学肥料を一切使用せず、自分達で堆肥を作っています。豆腐屋さんからおからを頂いたり、ご近所から馬糞を頂いたりなど、トイレもここではちょっとユニークで、微生物の力で汚水を液肥に変えることのできるトイレを使っています。

また、70年代から農家を志す方を研修生として受け入れており、そういった方がトイレの管理や、不要になった資源の運搬を買って出てくれます。少しずつ、農業を通して自然と人と人とが助け合う関係性が築かれてきたのだと思います。
現状、ここで採れた野菜は個人宅配や直売所での販売がメインで、インターネット販売はしていません。通常、野菜の形が不恰好なものは規格外とされ、市場には出せませんが、ここでは地元のオーガニックカフェが買ってくれます。農場の隣の敷地に、カフェがありますが、そこではここで採れたものを畑直送で味わうことができます。
有機農業を通した、むらづくり
次に、霜里農場での視察を終えると畑に移動し、有機を通した村づくりのお話をお聞きしました。
「ここでは地元の人と新規就農者が助け合いながら米、大豆、小麦を育てています。ここで採れたものが、地場の加工会社によって製品となり、地域を盛り上げることにも繋がっています。
生産、加工、消費までが地域の中で循環していることなどが評価され、2010年には集落全体で「第49回農林水産祭 むらづくり部門」で天皇杯を受賞しました。

「美登さんはよく「少利大安」と、(少ない利益で大きな安心を得る)言っていました。自然を大切にしながら、人が顔のみえる距離で協力し合うことで、結果的にみんなが共生していくことができる、そんな有機農業をこれからも続けていきたいですね。」
あっというまの1日でしたが、地元の農家から直接話しを聞くことができ、充実した1日となりました。今に続く有機農業が、たった一人の「勇気」から始まったことを知り、参加したみなさんの、なにかしらの背中を押すきっかけになるかもしれません。
※この記事は、令和6年に作成されました。
取材・記事作成: 自分史作成 まごの耳

